タスク管理勉強部

タスク管理とか色々書きます。

思想なき実践と実践なき思想、現世利益との整合性について

思想と実践とが車の両輪のようになっていないと僕は動かないのだとつくづく思いました。

 

僕は仏教が好きだし、具体的にどこの信徒というわけでもないのですが全般的にそれを思想として受け入れています。他方でこの思想を受け入れたからといってそれを実際に生活の中で実践することは大変なわけですよ。そりゃ出家して一日中管理されればこれほど良いものはないでしょうけれど。出家するわけにも行かないし。

 

じゃあ他方でライフハックだの自己実現だの読んでみたって両端が欠けているわけです。

両端とは生(誕生)と死です。それではいくらその実践テクニックがあろうがなかろうが、最終的に死ぬのにどうして?と言わざるを得ない。死ぬのになんで・・・と。

こんな面倒くさい人間なのでなっかなか納得しないわけですよ。

 

皆さんも自己啓発本やら宗教本読んだらわかります。今流行りのマインドフルネスだのもみんなそうです。このどちらからに集約される。

理屈で納得し、実践で納得するというこの2つが如何に難しいのかということです。

今ここにありましょう〜的なものだってじゃあなぜ今ここにあることが大事なのでしょうかという問に理屈じゃありませんなどと言い始めればそれはもう何でもありになってしまう。

そこにあるのは形而上の話でしょう。

 

その点で稀有な存在なのが苫米地英人氏です。僕はこの方の商材は買ったことありませんが、本は何冊か読みましたしYou Tubeの動画をいくつか見ました。仏教思想もかなり入っていますが、それだけではない学術的な要素も入っている(ただし、この学術的な部分は現在ではオカルトと思われるような(情報空間の話など)側面まで入っている)。

最大の難関である仏教思想と現世利益との整合性に密教的な部分を持ってきて思想的に体系化しつつあると思う。それがコーチングなのだと思う。

つまり苫米地英人的仏教とは現世利益などというものは所詮空だと徹底的に理解した上で、我々は釈迦ほどすごくない(釈迦ではない)と理解し、その上で煩悩を観察したままほどほどに受け入れてやっていく方法である。しかしながら、これはいわゆる普通の人が読めば単に自己実現を追い求めてる人と区別がつかないというか、そういった自己啓発本大好きな人が読んだら単なる煩悩丸出しにしかならない。ではそういう人と何が違うのかというと、それは本人確信度や臨場感が違うわけです。

これは外から見たら多分わからないのではないかと思うのですが、本人(少なくとも僕にとっては)にとっては差が歴然です。疑問を挟む余地を残さないということです。

どんなに煩悩を丸出しにして金だのなんだの求めたとして、それって結局なんの意味があるの?と思ってしまったら一気にしぼみます(とはいえ普通の人は楽しいんだからいいじゃん!となるとは思いますが)逆に思想だけ重視したら、なんの行動も起こさない人になってしまう。

 

ではまほー工房をどう使うのかというと、一つはコンフォートゾーンの設定と維持、ゴール達成したあとの世界の臨場感を上げるという方向には使えると思います。

 

コンフォートゾーン(自分が快適だと思う空間)

結構いろんな説明さていますけど、極端に考えてみるとわかりやすいと思います。例えば日本に住んでいる人が夜寝て、目が覚めたらアフリカの奥地にいるとします。そしたらどうでしょうか、最初は信じられないがこれが夢ではないことを理解する。そして大抵の人はそこから自分の家に戻ろうという強烈な意識が働きます。このときコンフォートゾーンは日本での生活にあるし、臨場感は目の前の景色よりも日本での生活のほうが圧倒的に上なわけです。つまり現在目に見えている世界(アフリカのジャングル)よりも頭の中にある日本での日々の生活のほうが自分にとってリアルなわけです。

もうすこし考えてみましょう。東京に住んでる人が夜寝て目が覚めたら大阪にいたとします。

これでもかなりの驚きがありますが、先程よりは全然ではないでしょうか?戻る方法も簡単にわかるし、言葉も通じる。

この比較から分かることは、コンフォートゾーンから離れれば離れるほど(そこに戻そうという)強烈な意識が働く

臨場感は目の前に見えているものよりも頭の中の記憶や情報に対して強く感じることがありうるということです。

 

ではコンフォートゾーンを現在にしたまんまだとどうなるかお分かりでしょう。もし現在の生活がコンフォートゾーンでそこに強烈な臨場感を感じていたら、もしゴールや欲しい物を掲げても意識は強烈にコンフォートゾーン(現在)に戻そうと思います。

例えば今の年収が1000万で、1億の目標を掲げたとしてもコンフォートゾーンが1000万ならば仮に1億になったとしても、1000万に戻されてしまうということです。宝くじ等々でよく破産している人がいるのはこのためでもある。コンフォートゾーン(貧乏人)に引き戻されてしまう。

ゴールに対するコンフォートゾーンを設定し、そこに強い臨場感(ゴールのほうがリアル)という状態を常に維持する必要がある。

でもこれは通常簡単ではないです。先程のいきなりアフリカとかいう特殊な事例を考えてみましたが、通常どう見ても自分の目の前に見える世界のほうが圧倒的にリアルです。当たり前です。今目の前にあるもののほうが頭の中にある情報よりリアルと言われたらそりゃそうだとしか言いようがない。例えば金持ちになると目標を掲げて、自分の財布を開くとクレジットカードも普通、お金もそんなに入ってない。これを見て当人に、なんの感情もわかないのだとしたらコンフォートゾーンは現状にあるということです。コンフォートゾーンがもし本当に金持ちになっていてそこに臨場感があったら、財布を開いて驚きと焦りがあって当然です。なんで俺の財布にこんだけしかないんだ、おかしい。財布にブラックカードがない、盗まれたか?と思うでしょう。これをどれだけ臨場感を持って思えるでしょうか?と言われれば相当な難しさがあるし、それを日常ずっと続けることってのは容易ではないです。

ですからゴールを掲げることよりもそのゴールを達成したときのコンフォートゾーンをリアルにし、かつそれに臨場感を持つということ(理屈)が大切なわけですが、その点を書いている人はなかなかいない。もう叶ったものとして普通に過ごしなさいとか、あるいは徹底的に刷り込むとか。どちらもこの辺を曖昧にしている。

 

自粛中なので、たくさん書いてしまってまとまりがないですが、許せ。