タスク管理勉強部

タスク管理とか色々書きます。

観察と集中

まほー工房の様々なワークをやるのもいいですけれど、それよりもなによりもそれ以外の日常をどう生きるかという視点が無いと無に帰すだけです。

 

これはすべてのことに言えて、坐禅にしても何にしてもそれをやってるときだけちゃんとして普段何もしてなければ意味がない。

そういうわけで昨今のマインドフルネス()なんかは無駄なのです。やってるときだけ集中してそれが終わればまたいつもの日常に戻っていく。言うなればストレスフルな日常をこなすための手段になっているだけで、あれは本来の目的を逸脱しています。温泉入って気持ちがいいのとなんら変わりません。それでいいという人を責めるつもりは一切ないですが笑

 

最近苫米地英人氏繋がりで、成瀬雅春先生の本をいくつか買いました。なんとなく自分が思っていたこととかなり合致することがあって、これは実践していくつもりです。

坐禅は難しくて困ったのですが、それは自分の能力が足りてなかったからだとわかりました。

その能力とは観察と集中です。坐禅指南本とかでもただ坐ることを重視していて、観察や集中はむしろあまりよくないものだと自分は勘違いしていた。でもただ坐るために観察と集中が必要なのだと、わかりました。受動状態を作るために観察と集中をする。禅とは生き方だというのと同じだと思う。生活自体に観察と集中を働かせていることが大事。

まず観察とは自分が思っていること、考えていること五感、それらを見るということです。

このへんヴィパッサナーぽいなとも思うのですが、もっと受動寄りな気がしないでもない。なんていうか、ラベリングまではしないほうがいいのではないかと思う。苫米地英人氏の本でラベリングのことも書いてあったが、個人的にはしないほうがうまくいくような気がしている。

これが雑念、これは〜とやっていくと偏見がうまれるというか、そういう思い一つ一つに対して無分別に観察することのほうが精神衛生上良い。あれも雑念、これも雑念!とラベリングしているとなんだかいい気分にならない。それにラベリングしたから消えるわけじゃないし、またふっとわいてくるから。とにかくそういう思いがあるということを消そうともせず、その思いにコミットすることもなく確かに意識に上げるということです。これは通常の生活で常にやっていくべき。

次に集中。ある対象に注力することで、これは普段言われている集中と意味が変わらない。ただしこれは観察よりも能動的な話。成瀬先生の本に書いてあるやつはどこでもできるのでおすすめです。

観察と集中ができて初めて受動状態に入れる。

 

それと瞑想と認知科学の教室でイメージと意識の違いを説明していてめちゃくちゃ参考になった。イメージは実感を伴わない、意識は実感が伴う。これめちゃくちゃ大事です。

必要なのは意識です。実感とは五感で感じるぐらいリアリティがあること。俺とか大抵の人はイメージで終わるからうまくいかないのだとわかった。

何かを意識するということと何かをイメージすることでは雲泥の差があるわけです。通常我々の妄想っていうのはイメージであって、実感がありません。レモンを想像するだけでよだれが出てくるほどのリアリティが普通のイメージの中には無い。レモンにしたって大抵の人は五感フルで想像することは少ないでしょう。

だから意識というのは実際にはかなり難しい。実際の皮膚の感覚はどうか感触は匂いは味はどんな音がしてどんな気持ちか、これらを確かな実感として意識する。雑念の入る余地がないんですねこれは。だから観察と集中の力が必要になる。

成瀬先生の教室通いたいなぁ。値段も安いし。